Dream Twilight

I go to seek on many roads what is to be.
True heart and strong, with love to light―
Will they not bear me in the fight to order, shun or wield or mould
My Destiny?

未来の運命を探して
私はさまざまな道を行く
叡智の光をめざす誠実で強い心と愛―
それがわが運命をさだめ、避け、支配し、形づくる戦いにおいて
私を支えてくれるのではないだろうか。


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Reblogged from eternityscape
緊急時に、何もしないことが最良でありうることを認め、何もできないことを受け止め、何かした気になることを戒め、何かしないと不安なることと戦うことの別名を、祈ると呼ぶ。僕は宗教者ではないけど、今回ほど祈ることの意味について考えたことはない。― 久保田裕之(社会学者)

(via mmqqbb)

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Reblogged from picapixels
この世のものが全て無料になったら最終的に人は何に贅沢を見いだすんだろう。そう考えると大事なものがぼんやり見えてくる気がする。 Twitter / PicaPixels (via picapixels)

(via )

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Reblogged from c-q

それは、ひどく不気味な光景だった。
アメリカという国は、ベトナムの泥沼を這いずり回って暮らす数十万の我々全員よりも、月面にいるたった二人の男のことのほうをずっと心配していたのだ。
得体の知れない感情がこみ上げてきた。

                       ――ベトナム前線の米兵の手記


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僕は道路で誰かを見つけると車を停めていたのだけれど、都会に引っ越してからは彼女が他人を乗せることをあまり快く思っていないようだったので、だんだん誰かを乗せることは減っていった。ところがあることが僕の身に起こり、それからは以前のように習慣的に人を乗せている。少し長い話になるけど、そして路上で起こったということ以外はヒッチハイクに関係のない話だけど、ちょっと書かせて欲しい。

この1年の間に車のトラブルが3回もあった。タイヤのパンクと、ヒューズが飛んだこと、それからガス欠だ。その3回ともが他人の車を運転していたときに起きたので精神的に非常つらく、ジャッキと予備のヒューズを車に載せていたことと、ガス欠のときは下り坂を向いた状態で車を停めてはいけない知識を持っていたこと以外は、最悪と言う他は無かった。

とにかくそんな最悪のとき、誰も見向きもせず助けてもくれないことに落胆していたんだ。何時間も高速の隅でAAA(日本のJAFに相当)を待ちながら、何台もの車が通り過ぎるのを眺めていた。訪れた4つのガソリンスタンドはどこも「あなたの安全のため」と言う名目でガソリン容器を貸してくれず、その代わりフタのない1ガロンの容器を15ドルで売ると言われた。『もうこんな国は地獄に落ちてしまえ』と思うに十分な出来事だった。

だけどそんな折に3回とも誰が救助してくれたのか、わかるだろうか。

移民者たちだった。メキシコ移民だ。みんな英語もろくに話せなかったけど、特にその中の1人は僕に深甚な影響を与えた。

その男はタイヤがパンクしたときに停まってくれた人で、彼の家族6人全員で僕を助けてくれた。大きなジープの後ろのタイヤがパンクしたため4時間近くも立ち往生していた。スペアタイヤはあったけれどジャッキがなく、車に大きく『ジャッキを貸して下さいお礼をします』と掲げてみたけど、運に見放されていたようだった。もうあきらめてヒッチハイクでもしようかと思ったそのとき、1台のバンが止まり男が車から下りてきた。彼は僕のトラブルを見て取ると英語を話せる娘さんを呼び、彼女を通してジャッキは持っているがジープには小さすぎるので、突っ張らせないといけないと伝えてきた。彼はバンからのこぎりを取り出してくると道路脇の丸太を切った。それを二人で転がし、その上にジャックを置いた。そしてタイヤを取り外したのだけど、そこで僕は彼のタイヤレバーを壊してしまったんだ。壊れやすいタイプだったこともあり不注意で折ってしまった。

彼は気にするなとバンに戻って自分の妻に渡すと彼女は一瞬のうちにいなくなり、タイヤレバーを買いに行ってくれた。15分して彼女が戻ってきたころには僕たちは作業を終えていて、すがすがしい気持ちだった。2人とも汗にまみれて汚れていたので妻が手を洗うための水を渡してくれた。それから僕が彼に20ドルを手渡そうとすると受け取ってくれなかったので静かに妻に手渡した。感謝でいっぱいになりながら、小さな女の子にどこに住んでいるかを尋ねてみた。このすばらしい行為のお礼に何かプレゼントでも贈ろうと思ったんだ。彼女はメキシコに住んでいると答え、お父さんとお母さんは桃を狩るため数週間だけ滞在しているのだと教えてくれた。その後でさくらんぼ狩りをして、それからメキシコに戻ることもわかった。ついでに彼女は僕にランチを食べたか聞いてきた。僕が食べていないと答えるとクーラーボックスからタマーレ(メキシコ料理)を手渡してくれた。今までに食べたこともない一番おいしいタマーレだった。

はっきり言えるのは、間違いなくみんなや僕よりも貧困な家族が、そしてみんなと同じく時間がとても大事だというそんな時に、1時間も2時間もかけて道路で困っている見知らぬ男を助けてくれたってこと。レッカー車ですら横を通り過ぎていったというのに。

だけどこの話はここで終わらない。彼らに感謝を述べて自分の車に戻り、空腹でたまらなかったのでタマーレのアルミホイルを開けてみたんだ。するとそこで見つけたものは20ドル紙幣だった。僕は振り返ってバンまで走った。彼はウィンドウを下げて僕の手に20ドル紙幣があるのを見ると、いらないと言うように首を横に振っていた。僕は『ポルファボール、ポルファボール(英語のプリーズ)』と言って手を差し出したけど彼は笑顔を見せてもう一度首を横に振り、大きく集中しながらありったけの英語を絞り出してこう言った。

『“Today you….Tomorrow me….”(今日、あなた…。明日、私…。)』

そしてウィンドウを上げると走り去って行った。彼の娘さんは後ろの窓から僕に手を振っていた。僕は車に戻ると最高のタマーレにかぶりつきながら泣いた。小さな女の子のようにただ泣いていた。きつい1年だったけど僕がそこまで折れたことなんてなかった。その時だけは放心して、どう心の整理をすれば良いのかわからなかったんだ。

僕はそれから5か月の間に誰かのタイヤを2回替え、数回ガソリンスタンドまで乗せてあげ、1度は自分の目的地から外れて女性を空港まで送ったこともある。謝礼はもらわない。そして必ず最後には同じことを言うことにしている。

『“Today you….Tomorrow me….”(今日、あなた…。明日、私…。)』

とりとめもない長い話になったけど、見ず知らずの親切な人が、いかに僕が困っている他人を助けるように仕向けたかという話をしてみた。

これを読んだ全ての人に意味があるとは思わないけれど、間違いなく僕の2010年のハイライトな出来事だったので、書かずにいられなかった。

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寒さにふるえた者ほど太陽を暖かく感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る。 Walt Whitman

(Source: )

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人は幸運の時は偉大に見えるかもしれないが、 真に向上するのは不運の時である。 フリードリヒ・フォン・シラー (via ramblrs)

(Source: )

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あなたが何かする必要がある時、

それは、他の誰もが
それをしようとしない時と、

人々が「そんなの出来っこない」
と言っている時だ。


The time when you need
to do something is
when no one else is
willing to do it,
when people are saying
it can’t be done.

Will Durant
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 「正義」といふ言葉が死語になつて久しい。戦後の日本で、「正義」といふ言葉は、「月光仮面のおじさんは、正義の味方よ、よい人よ」などと子供の歌の中に登場することはあつても、大人が大真面目(まじめ)に口にする言葉ではなくなつてゐる。

 もちろん、この背後に、戦後のわれわれが価値にかかはる事柄について何事かを断言するのにとても臆病(おくびょう)になつてをり、権利を叫ぶ方が美徳を語るよりはるかに受け入れられ易(やす)い、といふ風潮のあることは間違ひない。

 ≪本来は苛酷で峻厳なもの≫

 しかし、そればかりではない。「正義」といふ言葉には、本来、きはめて冷厳な、苛酷(かこく)なと言つてもよい側面があつて、それがわれわれを尻込みさせてもゐるのである。たとへば、死刑制度についてはこれまでもさまざまな論議がなされてきた。死刑は残酷だから廃止すべきだといふ人もゐれば、凶悪犯罪防止のために死刑を存続すべきだといふ人もゐる。しかし、この世には、それを犯した当人が自らの命をもつてあがなふ他はない罪といふものが存在する。だから法は極刑の概念を捨てることはできない-さういふ議論をする人は稀である。そして、これこそが本来の「正義」の観点からの論なのである。

 かうした発想が現代の日本において多くの人々の共感を呼ぶといふことは、まづないであらう。けれども、現在の西洋文明の源流をなすヘブライとギリシャの文明において「正義」とはまさに、かういふ発想だつたのである。

 それは単なる「よいことをしませう」といふ話ではない。不正は処罰しなければならぬといふ峻厳(しゅんげん)な思想である。そして、その発想を理解しておくのは、わが国が世界の国々とつき合つてゆくときに必要不可欠なことの一つなのである。

 『これからの「正義」の話をしよう』といふ本が日本でベストセラーになつたと聞いて、まづ第一に思つたのが、これで日本人たちの間でも、西洋文明における「正義」といふ考え方の苛酷さについての認識が広まるに相違ない、といふことであつた。と同時に、こんな異質で違和感のあるはずの「正義」の話を、何十万人もの日本人が喜んで読むといふのは不思議なことだ、とも感じたのであつた。

 ≪サンデル理論に厳しさなし≫

 いざ、実際に読んでみて、その謎はすぐに解けた。何のことはない。著者のサンデル氏の描き出す「正義」は、われわれ日本人がふつうに考へる「よいこと」とほとんどかはらないのである。

 そこには、不正は処罰されなければならぬ、といふ古来の「正義」の概念がもつ、あの峻厳な側面はほとんどあらはれ出てこない。ただもつぱら、現実のこの複雑な世界で正しい行ひをするためにはどう考へ、どう選択していつたらよいのか、といふ問題が、ていねいに論じられてゆくだけなのである。

 たしかに、その論自体はきはめてまつたうで筋が通つてゐる。サンデル氏は、何が「よいこと」なのかといふ問ひを、功利性の問題として片づけてしまつたり、「自由の尊重」の原理だけで押し通してしまつたりせず、どこまでも、現に共同体の一員として生きてゐる具体的な人間の在り方の問題として論じてゆく。実際、われわれもサンデル氏にならつて、政府が妙な法案を出してくるたびに「それはどうしてよいことなのか?」と問ひ返したいものである。

 ただ、このやうにして「正義」をもつぱら「よいこと」としてのみ論じるサンデル氏の限界が見えてしまふのが第9章である。

 ≪謝罪の前に歴史の冤罪はらせ≫

 氏はここではじめて、「これからの正義」の話ではなく、過去の話をする。もしもわれわれが共同体の一員であることを否定するのではなく、その歴史と伝統に多くを負つた者だと考へるのならば、自国が過去になした罪を謝罪する必要がある、と氏は語る。そして、ドイツのホロコースト(編注 ユダヤ人大虐殺)や日本の「慰安婦」の問題をとり上げて、愛国者なら謝罪すべきだ、と示唆するのである。

 しかし、ここにサンデル氏のあげてゐる「慰安婦」問題は、実際には、全くの事実誤認にもとづく不当な言ひがかりである。そして、そのやうな不当な言ひがかりに謝罪してしまふのは、愛国者としての責任ある行為であるどころか、実は端的な「正義」の破壊である。といふのも、不正ではない者を不正だと言ひたてるのは、それ自体が不正だからである。個人に対するのと同様、国家に対しても冤罪(えんざい)といふことがありうる。そして、冤罪をはらすことなく放置するのは、それ自体、不正に加担することなのである。

 かうした観点はサンデル氏の「共通善」の考へからは出てきにくい。しかし氏の本の真骨頂は、よい議論を引き出すことにある。われわれ自身で、ここから大いに本当の「正義」の話をしてゆかうではないか。

正論】埼玉大学教授・長谷川三千子 本当の「正義」の話をしよう
2010.10.8 03:41
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Reblogged from marekoromo

一番低い木にも梢はあるし 蟻にも恨みはある
蠅にもいら立ちはあるし 火花にも熱さはある
ほっそりとした髪も かすかではあるが影を投げかけるし
蜂も大きくはないが 針を持っている
海にも水源はあるし 浅瀬にも泉はある
そして乞食にも王様にも恋は恋なのだ

水が一番なめらかに流れるところは 流れが深いもの
時計の針は動くけど 誰もその動きには気付かない
一番堅い約束は 最も言葉少なになされるもの
亀は歌えないけど 恋はする

真の心は目も耳も持っているが 話すべき舌がない
心は聴いて見てため息をつき それから砕けるのだ

”The lowest trees have tops” - Sir Edward Dyer (via marekoromo)
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Reblogged from twittermeigen
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Reblogged from doggie
「旅行の目的は(ほとんど)すべての場合――パラドクシカルな言い方ではあるけれど――出発点に戻ってくることにあります。小説を書くのもそれと同じで、たとえどれだけ遠いところに行っても、深い場所に行っても、書き終えたときにはもとの出発点に戻ってこなくてはならない。それが我々の最終的な到達点です。しかし我々が戻ってきた出発点は、我々が出て行ったときの出発点ではない。風景は同じ、人々の顔ぶれも同じ、そこに置かれているものも同じわけです。しかし何かが大きく違ってしまっている。そのことを我々は発見するわけです。その違いを確認することもまた、旅をすることの目的のひとつです」 村上春樹(via 『世界でいちばん気に入った三つの都市』)

(Source: doggie)

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あなたはエジプトの王妃のように
たくましく
洞窟の奥に座っている
 
あなたへの奉仕のために
私の足は休むことをしらない
あなたへの媚のために
くさぐさの虚飾に満ちた供物を盗んだ
 
けれど私は一度も見ない
暗く蒼いあなたの瞳が
湖のように ほほえむのを
睡蓮のように花ひらくのを
 
獅子の頭のきざんである
巨大な椅子に座をしめて
 
黒檀色に匂う肌よ
ときおり私は燭をあげ
あなたの膝下にひざまずく
 
胸飾りシリウスの光を放ち
あなたはいつも瞳をあげぬ
 
くるいたつような空しい問答と
メタフィジックな放浪がふたたびはじまる
 
まれに...
私は手鏡を取り
あなたのみじめな奴隷をとらえる
 
 
いまなお<私>を生きるこのとない
この国の若者のひとつの顔が
そこに
火をはらんだまま凍っている

― 茨木 のり子 : 魂

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世界をより良い場所にしようと努力を始める時
自分の人生は奇跡のような次元に向かって動き出す。

                                                          ― ロビン・シャーマ